クロイツェルブランドの由来
 

当社が創業時より取引がありましたピアノ販売専門店、稲葉ピアノ(東京・渋谷、現廃業)の創立者・稲葉綱雄氏と伊達純先生との出会いがあり、浜松で手作りの良さを大事にしているピアノ工場があります。クロイツァー先生のお名前をブランド名として使わせて戴けないかとの申し込みを伊達先生よりクロイツァー先生にしていただきました。「私の名前を使いピアノ教育を普及していただくのはうれしいことですが、製造されたピアノを演奏して納得できたら」との返事を戴きました。早速浜松から送られたピアノをクロイツァー先生にご覧戴き演奏して戴いたのは昭和26年のことです。先生の了解を戴き、この後もよいピアノ作りを努力して下さいとのことでした。

 

 


レオニード・クロイツァー
LEONID KREUTZER

1884/3/11

1901

 

1905

1906

1921〜1933

1931

 

`1933/4

1934/2〜6

1935

1938

1939

1942

1944

1945

1946/9〜1950

1953

 

 

ロシアのサンプト・ペテルブルクに生まれる。

ペテルブルクのセント・ペトリ・ドイツ高等学校を卒業。

同年ペテルブルク音楽大学院入学、ピアノをエシポヴァに、作曲をグラズノフに学ぶ。

同院卒業

渡独、欧米他でピアニスト・指揮者として活躍。

ベルリン高等音楽学校主任教授。ショパン作品全集を校訂・出版する。

(昭和6年)初来日。

演奏会に加えて我が国では前例の無かった特別講習会を行い、その功績により、銀杯を授与される。

ナチスによって制定された職業官吏制度再建法により公職追放を受けベルリン音楽大学主任教授を辞任。

(昭和9年)再来日。翌1935年にかけてアメリカ演奏旅行。

(昭和10年)そのまま帰独せず3度目の来日。

(昭和13年3月)東京音楽学校教務嘱託。

(昭和14年)東京音楽学校外国人講師となり、日本に永住。

(昭和17年)ナチスに国籍を剥奪され無国籍となる。

(昭和19年)東京音楽学校を公職追放。演奏活動も停止。

(昭和20年)5月17日より終戦の8月15日まで軟禁される。

東京音楽学校に復職。

(昭和28年)演奏中に倒れ、東京にて逝去。

日本で活躍した門下生にカガノフ(別名:L・コハンスキー)、伊達純、室井摩耶子ら、

妻は門下生の1人である織本豊子。


東京音楽学校について
 

 

発足より現代に至るまで日本の芸術系最高学府と位置付けられている「東京芸術大学」音楽学部の前身である。

1879年(明治12)文部省に音楽取調掛として発足,

1885年(明治18)に同取調所と変わり上野公園に移転。

1887年(明治20)文部省音楽取調掛を廃して東京音楽学校として設立。

1893年(明治24)高等師範学校付属音楽学校としたが1899年(明治32)に再独立。

1949年(昭和24)新制に切り替えるにあたって,東京美術学校と合併し東京芸術大学となる。


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